公開: 2024年3月6日
更新: 2024年7月24日
明治に定められた学制では、小学校、中学校、高校、大学の4つの教育機関を定めていました。しかし、明治以降の文明の進歩と、国内における人材育成の養成に応える形で、中学を卒業した人々に対して、準高等教育を実施する機関として、専門性の高い医学分野や工学系分野では、大学教育と同等の、「医学高等専門学校」や「工業高等専門学校」が設置されました。さらにこれらの高等専門学校を卒業した人材に対して、さらに高度な知識を学ぶことができるように、既存の大学への進学も可能にしました。その時、高等専門学校を卒業した人材が、同一の専門分野を学ぶとき、同じ知識を重複して学ぶ必要がないように、特定の科目の単位取得を認定する制度を決め、編入を許すこととしました。
つまり、同じ専門分野でも、高度に専門的な知識と、そうではない専門知識に分け、大学では、高度に専門化された知識を教育することに重点が置かれていました。高等専門学校の卒業生に対しては、高等専門学校を卒業した後、大学でさらに2年間の高度に専門的な知識を学ぶ2年間の教育を受けた人に対して、学士の学位を授与することとしました。
戦後の学校教育法では、戦前の高等専門学校を大学に格上げしました。多くの高等専門学校は、戦後、単科大学または、総合大学の1学部として再編成されました。そのため、それらの大学への進学を希望する人々に対しても、高等学校の卒業を義務付ける制度に変わりました。しかし、工業系の専門については、高等学校と2年制の短期大学を統合した、工業高等専門学校の制度は残存しました。これは、経済の発展途上で、まだ豊かではなかった状態にあった日本社会の実情に合わせた、政策だったと言えます。